麻続王の万葉歌碑、鈴木翠軒が墨に込めた故郷の海

麻続王(おみのおおきみ)の万葉歌碑は、田原市伊良湖岬に静かに佇んでいます。麻続王は、はるか1300年前にこの地に流罪になったといわれています。

『万葉集』巻一の23番には、題詞に「麻続王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷(かな)しびて作る歌」として詠んだ歌が収められています。

「うつそを(うつせみの) 麻続王海人なれや 伊良湖の島の 珠藻刈ります」

これに続く24番は、「麻続王これを聞き、感傷して和(こた)ふる歌」として、王自身が返した問答歌となっています。

「うつせみの 命を惜しみ 浪に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む」

天武天皇4年(675年)、政争に巻き込まれた麻続王は流罪となりました。その配流先については『日本書紀』に「因幡」、『風土記』に「板来(常陸)」、そして『万葉集』に「伊勢国の伊良虞」と3つの説が遺されており、かつて流刑地であった伊良湖の、歴史の深さを今に伝えています。

日本の書道界を牽引した巨匠・鈴木翠軒の手による揮毫

この万葉歌碑の文字を揮毫したのは、田原市堀切出身の日本を代表する書家、鈴木翠軒氏です。

鈴木翠軒(すずきすいけん)氏は、昭和13年(1938年)の国定教科書をはじめ、戦後も「現代習字」の教科書の執筆を手がけました。全国の子どもたちが手本とした、まさに日本の文字の礎を築いた人物といえます。また、「習字手本は翠軒の書」とまで称賛され、近代日本の書道界に大きな影響を与えました。

岬の先端に建つこの歌碑には、「翠軒流」と称される、流れるように美しく気品に満ちた書体が刻まれています。

翠軒が愛した恋路ヶ浜の曲線と、ふるさとの荒波

田原市教育委員会が発行した『ふるさとの偉人を訪ねるー田原を築いた人びと』の中には、彼の独自の筆遣いについて次のような非常に興味深い一節が記されています。

「翠軒書作品の筆づかいには、翠軒が愛したふるさとの太平洋の荒波や恋路ヶ浜の美しく曲がった海岸線など自然風景を思い出させるものがあり、翠軒作品の根底には、やはりふるさと伊良湖岬の風景があったことがわかります」

中央の書道界で頂点を極めた翠軒ですが、そのダイナミックでしなやかな運筆の根底には、幼少期から見つめ続けてきた、伊良湖の激しい白波や、優美な湾曲を描く砂浜の情景が息づいていたのです。まさに、故郷の自然が育てた「生きた墨跡」が、この万葉歌碑には宿っています。

はるか古代の王の哀しみと、近代の書聖が故郷の海を想って滑らせた筆の跡。二つの時が伊良湖岬で交差しています。

なお、伊良湖岬にはこの万葉歌碑のほかにも、翠軒の筆による「桃源」の書碑もあるといわれます。(確認できませんでした)

麻続王の万葉歌碑の地図

いのりの磯道:潮騒のなかに響き、時を繋ぐ磯丸の歌
万葉の小径 – 西浦町 – 蒲郡の旅

参考文献
「麻続王答歌二首の特質」広島女学院大学国語国文学誌 (22) .国立国会図書館デジタルコレクション.
翠軒近作集 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
田原の文火財ガイドⅡ たはら ふるさとの偉人を話わる一田原を築いた人びと.

麻続王の万葉歌碑現代語訳

解説板には次の訳が記されています。「麻続の王は海人であるのか海人でないのに伊良湖野島の海藻を刈って居られるおいたわしいことだ.」「この世の命がおしさに私は波にぬれてこの伊良湖の島の海藻を刈って食べているのです.」

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