磯丸園地:国策に揺れた故郷の記憶を今に伝える
田原市の伊良湖岬。美しい景観が広がるこの場所には、かつて国防の波に翻弄され、故郷を追われた人々の切ない歴史が刻まれています。
明治34年(1901年)、伊良湖岬の先端に旧陸軍の伊良湖射場(陸軍技術研究所伊良湖試験場)が建設されました。その後、日露戦争を経てさらなる軍事用地の拡大を迫られた陸軍により、明治38年(1905年)、当時の伊良湖村(旧伊良湖岬村)の集落の大部分にあたる114戸が強制移転を余儀なくされたのです。(移転完了は明治39年で、112戸が村内へ、2戸が他の地域へ移りました)
民家だけでなく、人々の心の拠り所であった伊良湖神社や寺院もすべて移設され、古い村の姿は消えてしまいました。しかし、そのかつての村の中心地は、今も私たちの前に静かに姿を留めています。
永遠に語り継ぐ、かつての故郷の面影
かつて集落の中心として栄え、そして多くの人々が行き交っていたその場所は、現在は「磯丸園地」として美しく整備されています。
園地の一角には、円通六世光仙和尚の手による「伊良湖村墳墓旧跡碑」が、昭和62年(1987年)3月に伊良湖自治会によって建てられました。
ここに設置されている解説板には、「伊良湖のふるさとであるこの地を永遠に語り伝えるために区民総意でここに記念碑を建立する」と言葉が深く刻まれており、先祖代々の土地を追われながらも、故郷の記憶を絶対に風化させまいとする地域住民の強い意志と愛郷の念が、時を超えて胸に迫ります。
潮風のなか、磯丸の歌とともに望む変わらぬ海
この園内には、歴史を物語る石碑の傍らに、漁夫歌人・糟谷磯丸を霊を慰める供養塔(霊碑)が佇んでいます。また、家内安全を願った「むつましく」の歌碑が静かに寄り添うように建っています。1
さらに、園地を一段上がった見晴らしの良い場所にはベンチが置かれ、そこには磯丸の瑞々しい感性が光る「夏ころも」の歌碑が据えられています。
「夏ころも きてもみよかし いらご崎 涼しき浪の よるの月かげ」
ベンチに腰を下ろして目の前に広がる青い海を眺めると、ここがかつて114戸の暮らしの営みがあった場所であること、そして文字も持たぬ一人の漁師が和歌に命を吹き込んでいた場所であることが、潮騒の音とともに実感されます。
村の形が変わっても、糟谷磯丸が眺め、そして愛した伊良湖の海の美しさだけは、今も昔も変わらずに訪れる人々を優しく包み込んでいます。






磯丸園地の地図・行き方
いのりの磯道:潮騒のなかに響き、時を繋ぐ磯丸の歌 – 田原の旅
糟谷磯丸像:海を見つめる漁夫歌人の銅像 – 田原の旅
伊良湖神社:国策の歴史と伊勢の息吹を宿す古社 – 田原の旅
磯丸の墓所:奇跡の裏側にある、出会いと土壌の物語 – 田原の旅
参考文献
「渥美半島の戦争遺跡」田原市教育委員会(pdf).
新編磯丸全集 – 国立国会図書館デジタルコレクション.