いのりの磯道:潮騒のなかに響き、時を繋ぐ磯丸の歌
田原市の伊良湖岬先端。静かに佇む糟谷磯丸像から、白亜の伊良湖岬灯台へとつづく海岸沿いの遊歩道は、「いのりの磯道」と呼ばれ親しまれています。
優しく波が打ち寄せるこの道には、磯丸の遺した歌碑が両脇に並び、訪れる人々を温かく迎えてくれます。生涯で数万首もの歌を詠み、人々の悩みや苦しみに寄り添ってその心を癒す「まじない歌」を授け続けた歌聖・糟谷磯丸。
その優しさと地域の歴史が美しく結晶した、まるで「野外資料館」のような遊歩道の魅力を紐解いてみます。
過去から未来へ、合併の記憶を宿す70首の歌碑群
この「いのりの磯道」に佇む磯丸歌選歌碑群は、平成17年(2005年)に旧渥美町が田原市と合併する際、旧渥美町文化協会が「郷土の偉人である糟谷磯丸のことを、もっと多くの人に知ってほしい」という熱い願いを込めて手がけた事業です。
伊良湖岬灯台の傍らに建つ、家内安全を願った「むつまじく」の歌碑。そこには今も「2004年 磯丸歌選 渥美町文化協会」というプレートが添えられています。そして、当時の人々の故郷への想いを静かに伝えています。
建立当初は71首ありました。その中に『万葉集』の歌が一首含まれていることが判明したため、現在は70首となっています。(その一首は日出駐車場へと移設されたといわれています。)
歌碑の形にも工夫が凝らされています。まじない歌は「短冊形」です。そして、伊良湖の情景を詠んだ歌や道歌、釈教歌などは「色紙形」や「扇」「満月」の形をしています。訪れた人が視覚的にも分かりやすく分類されています。(68基の歌碑に、計70首の和歌という構成になっています。)
純朴な祈りから始まった処女作と、子どもたちの文字が紡ぐ永遠
磯丸像から歩き始めて最初に目の前に現れる歌碑には、以下の歌が刻まれています。
「明神の 石のしゃだんで ながむれば おきで漁師が 船をこぎます」
これは、病気がちだった母親の平癒を祈り、三日三晩ならぬ三年間もの裸参りを続けていた伊良湖明神(現在の伊良湖神社)の石段から、若い磯丸が海を眺めて詠んだとされる一首です。文字を知らなかった彼が、和歌の美しさに目覚めた原点であり、磯丸の「処女作」と伝えられる記念碑的な歌です。
また、それぞれの歌碑をよく見ると、地域の小中学校名のプレートが添えられていることに気づきます。これは当時の渥美町内にあった全小中学校(8小学校、3中学校)に、磯丸の歌をそれぞれ一首ずつ選んでもらい、石に刻んだものです。
驚くべきことに、歌碑に彫られた文字は子どもたちの手による揮毫(きごう)です。一人で書き上げたものもあれば、一文字ずつ交代で丁寧に紡いだ文字もあるといいます。
中には統廃合によって今では廃校となってしまった学校名もあります。過ぎ去っていく時間や子どもたちの純粋な息遣いが、石に刻まれた文字を通じて、この道に「永遠」として繋ぎ止められているかのような感動を覚えます。
幸せを呼び込む「いのりの道」を歩く
著書『糟谷磯丸 伊良湖の歌ひじり』の中で、著者の安江茂氏が「さながら磯丸に関する野外資料館。」と評したこの道は、ただの観光路ではありません。
田中伸治氏が「まじない歌人であることが各地で彼への敬意敬慕を生み、それがまた彼の旅や生活、こころ、歌、人間性を豊かにしていった。すべてがこんな風に一致して幸福な道を辿った例を私は他にあまり見たことがない。」と指摘するように、磯丸の生涯は、歌を通じて人々を幸せにし、自らも神様へと昇り詰めていく「幸福な道」そのものでした。
文字通り「幸福な道」を体現した「いのりの磯道」。それは同時に、渥美町から田原市へと受け継がれた歴史のバトンを繋ぐ、過去と現在が一本に繋がった一本の希望の道のようにも見えます。
いのりの磯道の画像








いのりの磯道の地図
参考文献
安江茂.平成22年.『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』.木阿弥書店.
田原市郷土資料館・平成26年企画展図録.『糟谷磯丸 まじない歌の世界』.田原市博物館.
新編磯丸全集 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
広報たはら 平成27年6月15日号.