糟谷磯丸像:海を見つめる漁夫歌人の銅像
糟谷磯丸像は、田原市伊良湖岬の先端へと続く遊歩道の入り口に、広大な海をじっと見つめながら静かに佇んでいます。
生誕250周年を記念して平成27年(2015年)に建立されたこの美しい銅像は、君升田村彦が描いた「糟谷磯丸畫像」を元に、名古屋市出身の彫刻家、工藤潔氏によって命を吹き込まれました。
いのりの磯道:潮騒のなかに響き、時を繋ぐ磯丸の歌 – 田原の旅
貧困と直面しながらも貫いた、至高の親孝行
糟谷磯丸は、宝暦14年(1764年)に伊良湖岬の貧しい漁師の家に生まれました。幼名を新之氶(しんのじょう)といいます。若くして父親を亡くし、そして母親も病気がちという過酷な境遇の中、幼い頃から奉公に出て必死に家族を支え続けました。
そんな彼の心を支えていたのは、母親への深い愛情でした。大変な親孝行者であった磯丸は、母親の病気平癒を心から願い、伊良湖明神(現在の伊良湖神社)への「裸参り」をなんと3年間も毎日欠かさず続けたと伝えられています。厳冬の伊良湖の風に打たれながら、そして一心に祈りを捧げる若き日の彼の姿は、地元の熱い語り草となっています。
文字を知らぬ漁師が、和歌の響きに魅せられるまで
幼少期から生きるために働かざるを得なかった磯丸は、もともと読み書きが全くできませんでした。しかし、裸参りを続ける中で転機が訪れます。伊良湖明神に集う参詣人たちが口々にする和歌の美しい響き、それに強く心を惹きつけられたのです。
独学で歌を詠み始めるようになると、和歌への情熱が原動力となり、不思議なことに少しずつ文字の読み書きも身についていきました。
その後、30代半ばを迎える頃、隣村である亀山村の郡奉行、井本常陰との運命的な出会いを果たします。そして、磯丸の非凡な才能を見抜いた常陰は、彼に本格的な和歌と読み書きの指導を行い、自身の雅号の一字を分け与えるように「磯丸」という号を授けました。名実ともに「漁夫歌人・糟谷磯丸」が誕生した瞬間でした。
数万首を遺した生涯と、神となった歌人
嘉永元年(1848年)、85歳でその天寿を全うするまでに、磯丸が遺した和歌は数万首にのぼると言われています。彼の素朴で温かみのある歌、そして人々の病や苦しみを和らげた「まじない歌」は、多くの人々に深く愛され、今も東三河地方を中心に数多くの歌碑として受け継がれています。
彼の偉業と徳を讃え、没後2年の1850年には神祇管領長上家より「磯丸霊神」の神号が許されました。かつて磯丸の自宅敷地内に建てられた祠は、現在、彼が歌を志すきっかけとなった伊良湖神社の境内に「磯丸翁祠」として遷座され、そして今も大切に祀られています。
祠の傍らには、愛知県によって「糟谷磯丸旧里」の石碑も建てられており、海と共に生きた一人の歌人の息遣いを、現代に静かに伝えています。




粕谷磯丸像は同じく工藤潔氏彫刻のものが渥美郷土資料館にもあります。工藤氏の寄贈となっています。粕谷磯丸像(渥美郷土資料館展示)
糟谷磯丸像の地図
「いのりの磯道」磯丸の歌碑一覧 – 田原の旅
磯丸園地:国策に揺れた故郷の記憶を今に伝える – 田原の旅
参考文献
安江茂.平成22年.『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』.木阿弥書店.
田原市郷土資料館・平成26年企画展図録.『糟谷磯丸 まじない歌の世界』.田原市博物館.
「糟谷磯丸画像」渥美郡史 別冊 (愛知県郷土誌叢刊) – 国立国会図書館デジタルコレクション.