神の島に息づく碧き伝承―「竹島弁財天」と宝厳寺竹の縁起

三河湾に浮かぶ竹島。その中央に鎮座する八百富神社は、古くから「竹島弁財天」として人々の信仰を集めてきました。島全体が国の天然記念物に指定されているこの聖地には、遥か遠く近江の国(滋賀県)と結ばれた、神秘的な歴史の糸が紡がれています。

藤原俊成公の眼差しが重ねた、二つの「竹生島」

社伝によると、八百富神社の創建は養和元年(1181年)3月18日。久安元年(1145年)、藤原俊成公が三河守としてこの地に赴任します。俊成公は、竹島の姿を琵琶湖に浮かぶ竹生島に重ね合わせ、その神聖なる竹生島弁財天をこの地に勧請したのが始まりと伝えられています。

その本尊である竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)に聖武天皇の夢枕に立った天照皇大神のお告げにより、行基が開基したという高貴な起源を持つ古刹です。俊成公が三河の海に見た「仙境」は、まさに琵琶湖の霊島が放つ神気そのものだったのでしょう。

絶世の美女、宗像三女神の一柱から弁財天へ

八百富神社に祀られている市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、『古事記』において天照大御神と建速須佐之男命の誓約(うけい)によって生み出された女神です。多紀理姫命多岐津姫命とともに「宗像三女神」と称されます。また、古来より絶世の美女として知られてきました。

仏教が盛んになった時代には、神仏習合(本地垂迹説)によって市杵島姫命と仏教の弁財天が同一視されるようになります。商売繁盛や芸能、金運、五穀豊穣、そして何より「海の神」として、港町・蒲郡の荒波を守る象徴として深く愛されてきました。

遥かなる琵琶湖から移植された「宝厳寺竹」の縁起

蒲郡風土記』の中で、伊藤天章師は竹島の「竹」について非常に興味深い起源を紹介しています。それによると、もともとこの島には竹は一本も生えていませんでした。ある時、「竹二本を根こぢして(根ごと掘り起こして)、これを神体として植え置き、その前に石を据えて神酒石(みきいし)と名付けた」という伝承が残されています。

著者はこの逸話を紐解き、「江州竹生島から移し植えたからには、この竹は宝厳寺の竹であると考えねばならない」と結論づけています。

今もなお、島の木々の間で潮風に吹かれ、しなやかに葉を揺らしている竹。それは六百キロ以上の時空を越えて、近江の霊島からこの三河の海へと命を繋いだ、生きた歴史の証人なのです。

竹島弁天に伝わる幻の「神酒石」と金明竹の数奇な物語.
八百富神社五社巡り.

参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
森林総合研究所 関西支所/スホウチク.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です