巨勢家陣屋跡:将軍吉宗の血脈を伝え、長沢に君臨した旗本巨勢家

豊川市長沢町の歴史を深く紐解くと、江戸城からこの三河の地へと繋がる、将軍家の濃密な血縁の歴史に行き当たります。かつてこの地に陣屋を構えた旗本巨勢氏(こせし)の軌跡は、まさに江戸幕府の盛衰と深くシンクロしていました。

名作時代劇の主役・徳川吉宗が生んだ一族の転機

お茶の間で長く愛された時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』。松平健さん演じる主人公のモデルとなったのが、江戸幕府の第八代将軍・徳川吉宗です。実は、ここ長沢に深く関わる巨勢氏の運命を大きく動かしたのが、この「暴れん坊将軍」その人でした。

巨勢氏はもともと大和国高市郡巨勢村(現在の奈良県御所市古瀬)を本拠地とした古代豪族の末裔です。13代目巨勢十左衛門利清の娘が、紀伊藩主徳川光貞の側室となります。そしてのちの吉宗を産みました。吉宗が将軍の座に就くと、享保3年(1718年)、14代目の巨勢由利は御側御用役として五千石を賜る出世を遂げます。また、その兄である巨勢忠義の系統が、のちに形原の旗本巨勢家へと繋がっていきました。

長沢陣屋の設置と、三河知行地の統治

この巨勢由利を初代とする旗本巨勢家は代を重ねます。三代目巨勢利永の時代である天明2年(1782年)、ついに三河国宝飯郡長沢村をはじめ、額田郡、加茂郡、設楽郡などを広く知行することとなりました。そして一族は領地支配の拠点として、ここ長沢村に「陣屋」を構えます。

その後、四代、五代、六代と受け継がれ、七代目巨勢鉱之助橘利国の時代に激動の明治維新を迎えることとなります。明治3年(1870年)、朝廷の命(朝旨)に従って領地を返納するまで、長沢の地は一族による統治の中心地として栄えました。

夢の跡をいまに伝える、宅地と寺院の庫裡

かつて威容を誇った長沢陣屋。長沢町字山﨑にある宝樹院の東側、小高い丘の上にあったと伝えられています。領地返納から長い歳月が流れた現在、巨勢家陣屋跡は穏やかな宅地や田畑へと姿を変え、往時の土音を静かに覆い隠しています。

巨勢家陣屋跡の地図

「巨勢」音羽町誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション
「巨勢鉱之助陣屋跡」音羽町誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション

明治の領地返納の際、陣屋の建物は近くの立信寺へと移築され、寺を支える「庫裡(くり)」として第二の命を吹き込まれたといわれます。(立信寺:深草円空立信上人の開基と河原屋仏 – 豊川の旅

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