俊成遺跡の「みやこ川」と、慈愛が守った「貧乏山」の語り草

塩津小学校の東側を静かに流れる都川。そのせせらぎに架かる都橋に立つと、かつての風雅な情景が胸に去来します。この「都」という高貴な名は、平安時代の歌聖・藤原俊成がこの川の水を汲み、和歌の着想を練ったという雅やかな伝説に由来しています。

貧しきを救った山:「貧乏山」に伝わる二つの由来

『蒲郡風土記』の著者・伊藤天章師は、この都橋から遠く望む「貧乏山」についても触れています。一見、不名誉にも思えるその名には、実は温かな慈愛の歴史が隠されています。

一つは、村の切実な社会政策に由来する説です。生活に困窮した家に対し、この山への入山を特別に許可し、薪炭を売って生計を立てることを許したというものです。「貧しき者のための山」という呼び名は、当時の村の助け合いの精神を表す、セーフティネットの象徴だったのでしょう。

もう一つは、時のお殿様との機知に富んだやり取りです。巡見の折、お殿様から「あの山は何か」と問われた庄屋が、とっさに「あれは貧乏な山で、狭く何もございません」と答えました。これは、過剰な期待や徴収を避けるための、庶民の知恵が生んだユーモア溢れる逸話として語り継がれています。

時代は巡り、金運の守り神へ

発行から60年以上の月日が流れ、貧乏山を取り巻く空気は劇的な変化を遂げました。現在では里山登山の名所として親しまれ、「登れば金運が上がる」という、かつての名とは真逆のパワースポットとして人気を博しています。

不便さを逆手に取った先人の知恵や、困窮する者を救った優しさ。長い時を経て「豊かさへの願い」へと昇華されたのかもしれません。昭和35年の筆致に、現代の賑わいを重ね合わせる時、歴史の巡り合わせの不思議さを深く感じずにはいられません。

都川と都橋の地図・行き方

幸せを呼ぶ?「貧乏山」の由来と魅力 – 蒲郡の旅
『蒲郡風土記』を歩く|昭和35年の記録で巡る郷土歴史旅

参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
「貧乏山」新訂三河国宝飯郡誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
竹谷松平氏 : 西ノ郡の殿様 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

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