石川忠三郎の碑:「こいこい先生」が紡いだ学びの絆

石川忠三郎の碑は、蒲郡市竹谷町塩津小学校の西に位置し、塩津駅からもほど近い場所に、静かに佇んでいます。そこには、かつてこの地で多くの子どもたちに寄り添い、学ぶことの喜びを説き続けた石川忠三郎という教育者の物語が刻まれています。

生涯を一年生の教師として——「こいこい先生」の慈愛

塩津村拾石に生を受けた石川忠三郎は、明治18年(1885年)に拾石学校を卒業してすぐ、同校の助手として教職の道を歩み始めました。明治20年に竹谷尋常小学校1の教員となりました。以来、大正15年までの実に40年と9か月の間、彼は一貫して「一年生」の担任を務めました。

子どもが貴重な労働力と見なされ、通学が当たり前ではなかった時代。彼は、「学校にこい、学校にこいよ」と親身に語りかけたと伝えられています。その情熱に溢れた呼びかけは、いつしか「こいこい先生」という親しみを込めた愛称となり、村の人々の心に深く刻まれました。

学び続ける背中——師となり、なお弟子となる姿勢

石川忠三郎は、教え子たちに学ぶ大切さを説くだけでなく、自らも生涯学習の徒であり続けました。夜には近隣の成瀬文吾に師事して漢学を修め、休暇となれば岡崎や名古屋、さらには東京へと足を運び、貪欲に知識を吸収したといいます。

驚くべきことに、彼は教師となったかつての教え子に対しても、謙虚に教えを請うたといわれています。この村で生まれ、この村の子どもたちの未来のために尽くす——。その揺るぎない信念は教え子たちの心を打ち、退職から2年後の昭和2年、彼らの手によって現在の記念碑が建立されました。そして、終戦を見届けるかのように、昭和21年にその生涯を閉じました。彼が蒔いた教育の種は、今も塩津の地に息づいています。

石川忠三郎の碑:地図と行き方

浄夢院 – 克明学校発祥の地 – 蒲郡の旅
蒲郡歴史マップ100

参考文献
「村じゅうが教え子」新郷土にかがやく人々 中巻 – デジタルコレクション.
宝飯地方史資料 4 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
「蒲郡市内学校沿革」蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

塩津小学校のクスノキ – 蒲郡の名木50選 30

  1. 広石、竹谷、鹿島が合併し竹谷学校となりました。のちの塩津小学校・中学校です。

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