下ノ郷城:街角に消えた城と下ノ郷鵜殿氏の足跡
現在、上本町交差点付近の通りを歩いて、ここにかつて二重の堀に囲まれた居城であったと気づく人は少ないかもしれません。この地にあった下ノ郷城は、かつて蒲郡を二分した勢力の一翼、下ノ郷鵜殿氏の拠点でした。
二つの鵜殿氏と下ノ郷城の興亡
鵜殿氏は、鵜殿長将(永正13年没)の代に「上ノ郷」と「下ノ郷」の二家に分かれました。下ノ郷城の城主となったのは、分家初代の鵜殿又三郎長存(ながあり)です。 『蒲郡市誌』によれば、この地の歴史は古く、築城は源範頼(みなもとののりより)に遡ると伝えられています。正平年間(1346年〜1370年)には和田氏が居住し、天文年間(1532年〜1555年)に入って長存が居城として以来、代々鵜殿氏が守りました。後に竹谷松平氏の居城となり、明治維新を迎えるまでこの地の中心であり続けました。
信仰が紡いだ寺号「長存寺」の由来
下ノ郷鵜殿氏の始祖・長存は法華宗に深く帰依し、当時「実相坊」と呼ばれていた寺院を厚く保護しました。その熱心な信仰ぶりから、人々はいつしかそこを「長存の寺」と呼ぶようになります。 天文12年(1543年)に長存が没すると、子の玄長(はるなが)は父の菩提を弔うため、父の法号「長存院日長」にちなんで寺号を長存寺(ちょうぞんじ)へと改めました。一族の歴史が、そのまま寺の名前として現在まで受け継がれているのです。
長存寺 – 鵜殿氏の菩提寺
勇将の最期と一族の興亡を刻む、西門前の「鵜殿長照の墓」
存続を賭けた選択と、今に息づく面影
上ノ郷の本家が今川方として家康に抗い滅んだのに対し、下ノ郷鵜殿氏の流れを汲む鵜殿長龍らは、早い段階で家康に帰順しました。これは「家を絶やさぬため」の苦渋の、そして賢明な決断であったと言われています。
現在、城の遺構は宅地や道路の下に眠り、当時の姿を直接見ることは叶いません。しかし、蒲郡市内を歩けば、戦国の世を智略と信仰で生き抜いた下ノ郷鵜殿氏の息吹を、確かに感じ取ることができます。




下ノ郷城跡の地図・行き方
参考文献
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
蒲郡市博物館編.令和2年.『蒲郡歴史マップ100』.
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