菊池寛『火華』と常磐館

「東海道の汽車に乗った人々は、大抵は記憶しているだろう」……文豪・菊池寛が綴った小説『火華(ひばな)』は、そんな印象的な一節から始まります。その第一章「手巾(ハンケチ)と五圓札」の舞台となったのは、かつて蒲郡の海岸線に「海道一」と謳われ、壮麗な姿を誇った常磐館でした。

淋しい町に現れた「道楽半分」の桃源郷

大正8年(1919年)当時の蒲郡を、菊池は「淋しい駅、淋しい町」と描写しています。しかし、その海岸に建つ常磐館は、名古屋の富豪が「道楽半分」に経営する別世界でした。丘陵には梅林や動物園があり、庭園には青い芝生と美しい松が広がり、屋内にはピアノや玉突場、海には紅白の遊覧船が浮かぶ……

わずか十数人の客のために50人近い従業員が働くその場所は、まさに資本主義が咲かせた「美しき妖精」たちの遊び場でした。

「手巾と五円札」――運命を狂わせる火花

物語は、この絢爛豪華な旅館を舞台に、二人の若者の出会いから動き出します。南條製作所の令嬢・南條美津子と、旅館の風呂番として働く地元の漁師の息子・川村鐵蔵。鐵蔵が美津子の落としたハンカチを届けようとした際、美津子はその汚れた手を嫌って受け取らず1ませんでした。また、お茶代として渡した「五円札」を、鐵蔵は「施しはいらない」2と突き返します。

この激しい自尊心のぶつかり合いこそが、後に二人の運命を大きく変え、激動の時代へと飲み込んでいく「火花」となったのです。

資本主義の光と影、そして人間の尊厳

その後、鐵蔵は皮肉にも美津子の父が経営する工場で働きます。そして、労働災害によって左腕を失うという過酷な運命を辿ります。物語は、資本家と労働者という冷酷な対立構造を描きます。しかし、どんなに貧しくとも精神の気高さを失わなかった鐵蔵や、自らの立ち位置に疑問を抱く南條家の次男・淳らの姿を通して、人間の尊厳を問いかけます。

終盤、放火により炎に包まれた南條邸から美津子を救い出したのは、彼女によって人生を狂わされたはずの鐵蔵でした。この大火を経て美津子は「目覚め」、物語はプロレタリア文学的な響きを帯びながら、大いなる犠牲の上に成り立つ社会の真実を映し出します。

文学の街・蒲郡の原風景として

現在、常磐館の跡地には海辺の文学記念館が立ち、当時の面影を伝えています。菊池寛が描いた「手巾と五円札」の場面は、単なる男女の邂逅ではありません。それは日本が近代化へと突き進む中で生まれた歪みと、その影で生きる人々の葛藤を、蒲郡という美しい風光の中に結晶化させた、文学史的にも極めて重要な瞬間なのではないでしょうか。

『火華』菊池寛全集 第6巻 – 国立国会図書館デジタルコレクション

海辺の文学記念館の地図・行き方

蒲郡歴史マップ100 – 蒲郡の旅

参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.

  1. この出来事を、鐡蔵は「多くの金持ちが貧乏人を無意味に嫌がり蔑む気持ちだった。」と、また「(美津子の)孔雀のような高慢心を、恐ろしく傷つけた」と描いています。
  2. 「彼は馬鹿ではなかった」「一言の礼を言うべきはずの相手が、却って彼を侮蔑したことを感ぜられ」

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