鵜殿坂:戦国の激闘を伝える通学路、上ノ郷城落城の悲劇が眠る
北部小学校と安楽寺の間に位置する、一見どこにでもある穏やかな坂道。地元の人々はここを「鵜殿坂(うどのざか)」と呼んでいます。毎日子どもたちの元気な声が響くこの場所は、かつて三河の命運を分けた戦国時代の激戦地であり、一人の城主が最期を迎えた悲劇の地でもありました。
上ノ郷城落城、闇夜の逃走劇
永禄5年(1562年)、徳川家康(当時は松平家康)は今川方の拠点であった上ノ郷城を攻め落としました。城主・鵜殿長照(うどの ながてる)は、燃え上がる城を脱出し、再起を期して東へと逃れようとしました。そして、上ノ郷城から東へ直線距離で約600メートル。この安楽寺横の坂にさしかかった時、運命の歯車が大きく動き出しました。
「無念」の声が残る鵜殿坂の伝承
『蒲郡史談』には、その壮絶な最期が詳述されています。1
「鵜殿の殿様が清田から長沢へ逃れようとした際、この坂で家康の家臣・松井忠次の伏兵に遭遇した。長照は力戦奮闘したが、暗闇の中で木の根に足を取られて転倒。最期に『無念』と叫んで討死した……」(「地名にまつわる伝承」)
この事件以来、人々はこの坂を「鵜殿坂」と呼ぶようになりました。かつては「この坂で転ぶと、長照の無念によって病気になり死んでしまう」という恐ろしい伝承が囁かれ、村人たちはこの坂を通る際、足元に細心の注意を払ったといいます。
鵜殿長照が目指した「再起の道」
長照は、この坂を越えてどこへ向かおうとしていたのでしょうか。同書では二つのルートが推測されています。
- 東方・御津方面へ: 鵜殿坂から小丸山、国坂道、御堂山を越えて、御津の大恩寺へと抜ける道。
- 北方・桑谷方面へ: 北上、坂本を経て桑谷(岡崎方面)へと逃れる道。
いずれにせよ、この坂は長照にとって、生死を分かつ重要な逃走経路であったことは間違いありません。
現代に語り継がれる「逆転の言い伝え」
時代は下り、かつて忌み嫌われた「転ぶと不吉」という伝承も、今では少し形を変えているようです。小学校の正門前という場所柄、「ここで転ぶと、かえって元気になる」といった、子どもたちを励ますようなポジティブな噂も聞こえてくるとか。
歴史の荒波に揉まれた戦国武将の最期の地は、今では地域の未来を担う子どもたちの健やかな成長を見守る、穏やかな坂道となっています。
安楽寺 – 久松俊勝と於大の方 – 蒲郡の旅
三河湾を望む鵜殿氏の拠点、戦国を揺るがした上ノ郷城の記憶
安楽寺のムクノキ(1) – 蒲郡の名木50選 17 – 清田町




鵜殿坂の地図・行き方
参考文献
蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
蒲郡市博物館編.令和2年.『蒲郡歴史マップ100』.