星越峠の碑:峠に刻まれた別離の情景、連歌師・宗牧が歩んだ道
三谷町と大塚町を繋ぐ星越峠。現在は国道247号線バイパスが山を切り裂くように走り、かつての峠道は人や自転車がようやく通れるほどの静かな小径として残るのみです。しかし、明治期に海岸沿いの県道が切り拓かれるまで、ここは東へと向かう旅人が必ず越えなければならない要衝でした。室町時代後期、一人の連歌師がこの峠で美しい言葉を残しています。
朝廷の密命を帯びた旅、戦国の三河をゆく
天文13年(1544年)、戦国乱世の只中、連歌師・宗牧は京都を発ち東国へと向かいました。この旅には、宮中からの「女房奉書」を携え、争い続ける今川氏と織田氏を講和させるという重大な外交任務が隠されていました。熱田、知多を経て船で三河へと入った宗牧は、西郡(現在の蒲郡)にて鵜殿藤太郎の出迎えを受け、常顕院(現在の長応寺)に宿を求めたのです1。
善応寺の千句興行と冬の静寂
西郡に滞在中、宗牧を囲んで連歌の会「千句興行」が催されました。
「鐘の音も 半ば雪の みやまかな」
この発句は、元町の善応寺で詠まれたものと伝えられています。深々と雪が降り積もる冬の夜、静まり返った山間に響く鐘の音。当時の冬の情景が目に浮かぶようなこの句は、現在も善応寺の境内に句碑として大切に遺されています。
「星越」の名の由来と老いらくの惜別
十二月十日、宗牧が西郡を去る日、百人もの人々が別れを惜しんで見送りに集まりました。『東国紀行』には、峠の名称を「越し越(こしこえ)」とわざと間違えて若衆と戯れ、その後に改めて詠み直した歌が記されています2。
「たちかへり又も逢はましほしこえや かすかすあかぬ老のさか哉」
再び戻ってこの峠で逢いたいものだ。星越峠の碑には、この惜別の歌が刻まれています。かつて多くの文人墨客や武士たちが歩んだこの峠道。今は静かな風が吹き抜けるばかりですが、石碑に触れれば、戦国時代の旅人が感じた三河湾の美しさと、別れの切なさが鮮やかに蘇ります。
善応寺 – 谷宗牧「半ば」に込められた意味 – 蒲郡の旅
稲石佐平翁頌徳碑 – 蒲郡の旅
蒲郡歴史マップ100




星越峠の碑 地図・行き方
参考文献
紀行文集 続々 (続帝国文庫 ; 第37編) – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
愛知の文学碑 : 碑に見る文学史 (愛知文化シリーズ ; 1) .
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.