岩略寺城跡:関口氏と長沢松平家の系譜
豊川市長沢町に聳える御城山。その山頂一帯には、かつて東三河の歴史を大きく動かした山城、岩略寺城跡(がんりゃくじじょうあと)が眠っています。現在は豊川市指定文化財として守られているこの地は、堀切や曲輪といった遺構が鮮明に残る、県内でも屈指の城郭遺構です。
今川の血脈と築山殿のルーツ——関口氏による草創
この城の歴史は、室町時代の文安年間(1444〜1449年)まで遡ります。今川氏の流れを汲む関口刑部少輔満興によって築かれたと伝えられ、一説にはさらに古い南北朝時代の遺構ともいわれます。かつて「関口庄」と呼ばれたこの地は今川氏の勢力圏にあり、西側の関口城(登屋ヶ根城)と共に、一族の拠点となっていました。
特筆すべきは、この地を治めた関口氏が徳川家康の正室・築山殿の出自であることです。彼女の父である関口氏興は、この地の領主であった家系から出ています。家康公を支えた松平一族と、非業の死を遂げた築山殿。その両者のルーツが、この長沢の山並みに交差しているのです。
松平信光の進出と長沢松平家の誕生
文明年間(1468〜1486年)に入ると、西三河から勢力を伸ばした松平信光がこの地を攻略します。信光は、竹谷・形原・五井といった各地に自らの子を分立させて勢力を拡大しましたが、ここ岩略寺城(または長沢城)には松平親則を配しました。これが後に徳川家を支える名門、長沢松平家の始まりとなります。1
現在、山頂付近では見事な空堀や堀切が往時の威容を伝えています。また、2025年には「岩略寺城跡保存会」が発足しました。そして、散策路の整備や情報発信が精力的に行われています。
主郭近くの堀切跡まで車で登ることが可能です。ただ、道中は自然のままの山城ですので、飲み物などの準備を整えて訪れるのが良いでしょう。また、ふもとの長沢地区市民館内にある歴史資料館を併せて訪ねれば、この地に眠る歴史の解像度がより一層高まります。
岩略寺城跡見学推奨ルート
豊川市立長沢小学校児童制作「岩略寺城址〜長沢」






岩略寺城跡散策ルート
慶忠院:廃寺の跡に漂う祈りの残影
時の積層を語る古城、豊川市・登屋ヶ根城跡に刻まれた興亡の記憶
参考文献
豊川市教育委員会編.令和2年.『新版 豊川市の歴史散歩』.豊川市.
『総合的な学習の時間 長沢の歴史』令和7年度 長沢小学校6年生制作.
「岩略寺城」音羽町誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
