旭酒造の意見広告で考えたこと

日本の企業が、今回のような「買わないで」なんていうネガティブ広告を出すことは珍しいのかもしれない。

2011年の patagoniaの「Don’t Buy This Jacket」という新聞一面の意見広告を思い出した。それは「経済」という阿片窟のなかで「消費者」という名誉ある称号を与えられたボクたちが嬉々となって「消費」することだけに夢中になっている、その中毒症状に対しての警鐘だった。
「Don’t Buy This Jacket(このジャケットを買わないで)」:ブラックフライデーとニューヨーク・タイムス紙 – パタゴニアのブログ「クリーネストライン」

今回の旭酒造の「お願いです。高く買わないで下さい。」という広告も、同じように狂ってしまったボクたちの「経済」と「消費」の中毒症状に対して、疑問を呈し、警告をしているのだろう。

経済とか流通なんて仕組みの中で、3078円で買える「純米大吟醸50 1800ml」が、一瞬にして二倍三倍の値段になってしまう。造った人たちの意図とか意思なんてものとは無関係に、価値を大きく変えて消費されてしまうということは、正しいことではないのだろう。

経済が、企業に利益の追求を強いる。大量生産大量消費の需給というバランスゲームの虜になったボクたちは、重力や引力なんて旧来の神の手から逃れ離れ、均衡点を人為的に強引に動かそうとする。適正価格なんてものは、とうの昔になくなってしまって、消費量だけが価格を決定する。そうして消費という廃棄活動をするようになっては、全てのモノはその本質を喪ってしまう。人もまた生きる本当の意味をなくし、ただ経済という歯車の中で、労働という廃棄活動のために、ただただ消費する。成長しなければならないからだ。

獺祭は美味しいと思う。

3000円は安いと思う。でも逆に3000円で出来るという蔵元の自負なり矜持なりがあるのだろう。10000円なら「普通にできる」のかもしれない。3000円だから美味しいのかもしれない。そのボクたちの感覚が、いつかは獺祭という酒の価値を下げる。

獺祭の意見広告は、流行や宣伝に踊らされ盲信してしまっている、そういったボクたちの、この国の、この国の政治に対しての警鐘なのかもしれないと考えると、安倍首相や昭恵夫人がトップセールスをしていたことも、なにか奇遇だなあ、なんて思っているんだが・・・。

獺祭

というか獺祭を定価で買えるってことを知らない人も多いかも?

1件のコメント

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    こんばんは。

    基本希望小売価格よりいくら高く売れても発売元には還元されないし欲しい方が手に入りにくくなるのであれば結果として会社や商品の信用に傷がつくからだと考えます。

    それなら供給を増やせと言われそうだがそうすると品質やブランド価値の低下を招くおそれはありますし酒蔵のような零細企業だと大きな投資は厳しい。

    特に食品だと転売されると品質面の保証が難しくなるといった問題も。

    世の中季節等により値段がめまぐるしく変わるものと一年中全く同じ値段のものと両方ありますがどちらが正しいかといえば何ともいえません。

    あと当社の考え方がわからない客は不要といった言い回しは誤解をうんだりする事はあるでしょう。
    ただどんな商売でも客を選ぶ権利は基本あると思っています。

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