もっくる新城で蓬莱泉を一杯

酒を止められていた祖父が、隠れて、砂糖を舐めながら燗冷ましを飲んでいたことをよく憶えている。子供だったボクのほうを見て、ニッコリと笑った。そうして口止め料に小遣いをくれた。寡黙な人だった。ボクは、見てはいけないものを見た、うまくコトバでは表現できないような、少し暗い感覚が残った。だから、今もなお、あの夕方の、暗い炊事場の風景を憶えているのだろう。

鳳来寺に行く前に、道の駅もっくる新城で一杯飲んだ。惣菜バイキングは1200円、その食堂でビールは売っているのだけれど、日本酒はない。ないのだけれど、売店で買えば飲んでい良いというので、蓬莱泉のカップ酒2本を買って、バイキングの惣菜をつまみに飲み始めた。他に飲んでいる人はいない。

「燗をしてくれればいいのだけれど」なんて思ったのだけれど、それは常識的にダメなような気がしたし、言えばたぶんやってくれるかもしれないが、ボクだったら「ちっ、面倒なオヤジ」なんてきっと思うだろうと考えたら、というか、言える勇気とか図々しさなんてものもないので、燗酒はあきらめて、そのまま飲んだ。

酔った。酔ったら、祖父のことが想い出された。燗冷ましの酒に砂糖を入れると美味しいのかもしれないと思った。きっと、華やかな風味の吟醸酒を懐かしんだろうと思った。

人の身体の大部分は想い出でできている。あとは未来の希望とか夢で補強されている。ボクたちの言動の規範もその思い出と希望なのだ。過去と夢が言葉になる。過去と希望が行動となる。それが、過去も未来も大事にしなければならない理由なのだろうと思う。

そんなことを考えながら、ボクは酔っていた。そうして鳳来寺山へむかった。やれやれ。

もっくる新城

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