選挙のこと、衆院選投票日に考えたこと
第48回衆院選投票日の今日。自民党圧勝、希望の党地方で惨敗、共産微増、立憲民主党勝利、という選挙結果になるのだろう、と思いながら傘をさして、近くの投票所へ歩いていった。それが、お昼前で、雨なのにけっこうな人が来ていた。だから、エアコンの効いてない部屋は人いきれでむっとしていた。
選挙の思い出
選挙になると父親は忙しくなった。仕事よりも選挙が優先されていた。そして、ボクたちも応援員として選挙カーに乗ったり、夜回りした。
実弾(現金)は夜動く、それが夜廻の理由だった。実弾よりも、選挙スタッフの結束力のため、あるいは他の立候補者を敵対視させ戦闘意識の高揚をはかるために、夜回りという見張りなんてことをいていたと思う。
あの頃のボクは、実際にそんなことへの猜疑心なんてものはまったくなく、ただただ盲信的に選挙運動をするぐらい、父親に対して、政治に対して純粋だった。政治こそがボクたちの将来を変えられる、そう考えていた。そして、地方政治は具体的にその結果を出してくれていた。露骨なぐらいに。
選挙運動の感覚
選挙から得られる感覚を、みんな知らないのかもしれない。そういった体験というのは地方の選挙運動をしないと分からないのかもしれない。良い、悪い、ではなくて、投票するということは、その果実があるってことだ。地方選挙での当落は、その果実を先鋭化する。つまり、利益になる。
例えば、役所に就職できた、とか、家の前の道路が綺麗になったとか。あるいは、家業が繁盛しだした、とか。しかし、地方選挙的なことではなく、選挙結果はボクたちの生活に影響をする。例えば、就職率が上がった、とか、社会インフラが豊かになった、とか、景気が良くなった、なんてもの。
投票の意味
それが選挙だってことは、学校が教える、というよりも、親が教えるものだと思ったりする。
学校では教えられない具体的なこと、それはかなり贈収賄のニオイがするからなんだけれど、でも、実は投票するということと、信任するということは、そういうことなんだ。
その候補者のマニュフェストという具体的な政策を「どうぞやってください」と信任することなんだから、家の前に原発が出来ることもあるし、徴兵制が始まるってこともあるってこと、授業料が無料になり、年金が増えるってこともあるってことも。
仕事なんかしているよりも、選挙運動していたほうが未来のためには大切だ、子供たちのためには重要だ、そう父親は考えていたに違いない。それは正しいと思う。
投票が終わって
投票を終わって雨足が強くなっていた。サンダルの足が冷たかった。
世間は好景気らしい。ボクたちの生活は相変わらずのままだ。株価が上がろうと、ボクたちの生活にはほとんど変わりない。将来に、老後に、希望なんて持っている人なんていない。消費税が上がろうと、運賃が上がろうと、最賃が上がろうと、毎日毎日十数時間運転し続けなければ、そして長時間労働、残業を増やすことでしか、ボクたちの生活を維持することができない。
もうあの頃のように夢を希望をみることは出来ない。ただ、努力が報われ、正義が有効になり、不当に搾取されることなく、格差の中にあっても普通に生きられる、そうなってもらいたいと考えているんだが・・・。
さすがズバリですね(‘◇’)ゞ