豊橋カレーうどんで考えたこと。

こんな雨の日にも後藤さんはやって来て、

「K、ちょっと頼むよ」
「いいですけど、またパチンコにでも負けたんですか」
「いいや、ちょっと」
「ちょっと?」
「まあ、飲みに行くか」
「良いですよ」
「この金でさあ、まあ、オレのおごりでさあ」
「ああ、いいですね、後藤さんのおごりで。ぱあ~っと」

10時開店の食堂、そこがボクたちの行きつけの店だった。
焼酎は、あふれるから小皿に受けて一合200円。朝から夕方まで一升飲んだところで2000円、ボクたちは、今で言う家飲み程度の感覚で、その店の一角を占拠していた。

その頃、後藤さんはパチプロで、普通台を1日一台終了させて8000円程度の収入を得ていた。毎日釘師がパチンコ台を調整していた頃の話だ。まだセブン機が入る前で、平台(普通台)でパチンコを打ち、それを生業としていた人たちが、どこのパチンコ屋にも数人はいた頃の話。

セブン機が登場して、そうしてみんな、なにか狂ったように、ギャンブルをするようになった。中にはゴト師となり(と言ってもその当時は強力な磁石をタバコの箱に仕込むような単純なものだったのだけれど)出入り禁止になって、挙句、足を洗ったパチプロも多かった。ちょうどバブル景気が始まる季節、地方都市でもその足音は聞こえていて、足抜けするのにはタイミングのいい時期だった。

後藤さんもそんな転向パチプロのひとりで、その景気の波に乗ってとうとう就職した。と言っても、後輩の経営する塗装関係の仕事だったのだけれど。

この国のなにかが変わろうとし、変わった季節だったにしても、多くの人はそのことに気づかずに、そうしてその景気という波に、最後はのまれていった。景気の恩恵を受けるのは一部の人たちだけで、マスコミはその景気の良さを謳うのだけれど、大多数は蚊帳の外にいる。その二極化が際立つことを、景気というのだろう。

そのバブル景気がなんの前触れもアナウンスもなく終わると、玉ちゃんのように自殺する経営者もいたし、後藤さんのように元の生活に戻る人もいた。街の様子はすっかり変わっていたのだけれど・・・。

経済なんてものに利用され使い捨てられた人たちは、やがて非正規となって、次はリーマンショックなんて波にさらわれ、打ちのめされ、立ち直るという気力さえ喪くしてしまっている。

そういうふうに国民を無気力化することを、政治というのだろう。

なんとなくだけれど、そのバブル以前は、まだ人と人の繋がりがあって、街にはどこか救われる場所があったように思う。なにも宗教やNPOなんてもののにすがらなくても、暮らしていける雰囲気があったように思う。

あれから、街は、たしかに洗練されオシャレになった。ただ、その洗練化とは逆に「おひとりさま」とか「孤独死」が象徴するような孤立化が進んでしまって、どこかボクたちには住みにくい街になってしまっている。

洗練されたオシャレな街に、誰とも繋がりのない非正規の人たちが住む。経済という知識を植え付けられた経営者、それは街場の食堂でもそうだ。アパートでもそうだ。容赦ない人間関係と容赦ない利益主義。人情のない哲学を持つ経営者。その経営者と溶解してしまっている人たち。

というか、もうすっかりと人情なんてものを、ボクたちは忘れてしまっている。そういった余裕もない。街には非人情的風景が溢れている。非正規社会は、非人情社会なのだ。

豊橋カレーうどん。別に、そんな奇抜なことをしなくても、もう少し普通のことを今まであることを守ることのほうが重要かもしれないと思う。

確かに、経済のためには集客は大切なことなんだろうけれど、そうして名物を作ることは必要なのだろうけれど、なんとなくだけれど、とっても違和感がある、そうして、いまだに食べたことがない人が多いのが、あのカレーうどんで、きっと、なんとなくなんだけれど、ボクと同じように、「それは間違っている」と思っている人が多いかもしれない。それは、新しいものが正しい、とか、新しいものを無思慮に取り入れてきた、その後悔の思いを、心のどこかで感じているのではないかと思う。

もう少し人情的な社会を取り戻すことのほうが大切なことなんではないかと・・・。

そう考えている雨の日なんだけれど・・・。

驟雨

驟雨(2)

魚魚丸
魚魚丸で四海王を一杯

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