正しさ

「あれで良かったのかなあ」なんて人は常に思う。

行動の善悪について悩むことが多いのは、たぶん自信がないからなんだろう。それはそれで良いとボクは思う。常に善悪について考える癖みたいなものは必要だと思う。その癖が正しい生き方につながるのだから。

自分の行動を正当化する癖もボクたちには元々備わっている。「正しい悪」なんてことも肯定される。正しさの秤が人によってずいぶんと違う。

では、どうやってその善悪を見分けるか、ということなんだけれど、ボクはボクの言動で「不幸になる人がいないか」ということを基準に考えることにしている。自分の欲のために、自分の幸福のために誰かが不幸になり傷ついて良いわけがない。ゲスと言われる言動は、常に誰かを不幸にし傷つけているのに、自分たちだけが欲望を満たしている。そうならないように危言危行を貫きたいと、思っている。(思っているだけだったりするだけで、やっぱりどこかで人を傷つけてしまうのだけれど)

少し前の夜、「それで良かったんだよ」とA君の質問に答えたことがあった。行動が正直だったからだし、そのことによって誰も不幸にならなかったからだ。「正直」ということも基準になる。ただ、正直だけだと利己的に陥りやすいので、「不幸になる人がいないこと」を優先することが肝要だと思う。

人の中にいると悩みが多い。「あれで良かったのかなあ」という悩みも多くは人に関してだ。動物は利己的に生きる。人も同じだ。

そういえば少し前、熊の子殺しの話になったときにGさんとそんな話をした。自分の欲望のために子を殺す。母熊は、子を殺した雄熊を受け入れてしまう。そういう仕組みの中で宇宙は存在する。

春の予感がする。これからボクはお昼ご飯を食べる。ひとりでいることのなんと平和のことか。そうして「これで良いのだ」なんて思っているんだけれど・・・。

大根と蓬莱泉 可
大根もこれぐらいの厚さで煮ると美味しい。圧力鍋使用だけれど・・・。「蓬莱泉 可」日本酒

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