弘前タクシー破産で考えたこと
2017年1月29日
確かに業界としては、ライドシェアは深刻な問題なのだけれど、ボクたち運転手にとっては、雇用主が誰だろうが、問題は雇用条件であって、中小企業で働くよりは、UberやLiftyなんてグローバルな会社で働くほうが安全であるに決まっている。
業界がいくら正論を言ったって、そうして呪文のように「ライドシェア反対」なんて言ったところで、ボクたちにとっては、そんなことよりも、これからさらに求められるスキルや、ボクたち自身の品質の向上、増加するだろうそれら運転手への負担のほうが、深刻な問題なのだ。
業界は業界の既得権益のために、業界の生き残りのために必死だ。
やっぱり業界とはいったい誰なんだろうね?
業界とはいったい誰なんだろうか? – 道中の点検
ボクたち運転手にとって、雇用条件が整備されれば、IT業界だろうが、ネット通販業界だろうが、業界というものが誰だって同じで、運転手としての仕事はとりあえずある。実は、本当に怖いのは、そして本物の「黒船」は、自動運転によるタクシーの無人化なのだ。
配車もスマホで自動配車になれば、業界がすべて無人化になることも可能だ。無人化になったとしても、とりあえず業界は存続する。
やっぱり業界が守りたいのは、ボクたちの雇用とか身分なんてことではなくて、業界自体なのだ。そうしてボクたちはそのことに薄々感づいていて、一部の強欲な人たちを除いて、誰も「ライドシェア反対」なんて呪文を唱える人がいないのだ。
そんな間にも、弘前タクシーが破産して、地域の公共交通機関としての責任なんてものは、すっかりと放棄されてしまった。
業界が喧伝する安心とか安全のなんと安っぽいことか。業界の言う公共性のなんと嘘っぽいことか。
まあ、国破れて業界あり、ってことだ。