雪だるま

霜も降りない土地で育ったものだから、雪だるまを作ったという想い出は、・・・、しばらく想い出していたのだけれど、どうもないようだ。何度か雪が降ったことは記憶しているのだけれど、黒潮が流れる暖かい海からの風が、積もることを邪魔していた。

海は暖かかった。それでも強風が体感温度を下げる。常緑樹の森が海まで落ち込む、そんなリアス式海岸の街の朝は、漁船の音と、そのエンジンのニオイと、海の男たちの声が、ちょうど吹雪のように、舞っていた。

想い出や記憶の切なさや儚さの縁に感じるザラリとした手触りの実感。住むには狭すぎて、生きるには面倒すぎる、そんな故郷のことまで、想い出そうとしている。

雪の朝に、なんだか少しだけ哀しくなって、そして少しだけうれしくなって、朝から散歩をしたりした。

やっぱり子供たちは雪だるまを作っていて、やっぱり何人かは嬉しそうに足跡を残していた。やっぱりボクたちの旅心はとどまることを知らず、やっぱり子供の頃のことを思い出す。

そういえば、父も母も、兄妹も、みんな知らないだろうけれど、中学生2年の冬、隣のYおじさんちのバイクを、明け方こっそりと乗り出して、砂浜まで走った。あの頃も、そして今も、ボクはここから逃げ出したいという気持ちで生きている。

働くということや、それにともなう集団での生活が、ボクたちがボクたちを喪失の原因なのだ。ボクが、ボクらしくあるためには、きっと、時間がたてば跡形もなくなるような、それぐらいの存在のほうが、正しいように思う。仕事とか、他人とか、世間とか、いろいろなものによって手を入れられた加工品として、ボクたちは存在する。商品として存在する。

ほんとうは、雪だるまのように、「ええ、まあ、明日になったら、ボクではありませんが」なんて、「そうそう、今のボクは、また違うボクなんで」なんて、スルリスルリと変態して生きるほうが正しくて楽なのだろうけれど、ボクたちには、家や土地や家族や、そしてなによりも労働という鎖に繋がれて、そう、冷凍保存された雪だるまのように、溶けることも変態することも許されずに、生かされている。

雪だるま 市役所前
豊橋市役所前
左団扇で暮らせますように・・・

雪だるま 風のように花のように
かぜのように はなのように
去年のも大きかったけれど・・・。

雪だるま 神明公園
神明公園
ベンチでひと休み・・・。

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