成人の日に
成人になる前から酒を飲んでいた。20歳になったら、少し堂々と酒を飲むようになった。
玉ちゃんやGさんに出逢ってから、それにくたびれた恋愛をするようになってから、斜めに構えて酒を飲むようになった。いつも小銭を抱えて、カウンターだけの小さな屋台やおでん屋で、焼酎のお湯割りを飲んでいた。角打ちをするようになったのも彼らの影響だった。
20歳の若造には、それがとてもカッコよく思えた。そしてとにかく酔えればよかった。酔った勢いで、欲望を愛にすり替え、女のアパートに行くのが日課のようになっていた。ボクよりも20歳も年上の女たちとの恋愛も、そんな酒の飲み方と同じだった。
Sくんが「成人式のことを憶えていますか」なんて聞くもんだから、そんなことを想い出したし、成人式のことなんかも、その前後のうらぶれた日々なんてことも、キチンと憶えていて、「かなり鮮明に記憶してるよ」なんて答えた。
ソープランドの待合室でボクたちは成人になった意味なんてのを考えていたのだ
成人の日にボクとTのこと・・・。
あの頃のボクが今のボクを作っているのだろうか?
想い出はキチンと残っているとしても、ボクはもう彼らとも、あの街とも、キレイに別れてきたのだけれど。
今は、とても普通に生きていると思う。毎日自炊して、健康に生きよう、なんて思っていたりする。相変わらず酒は飲んでいるのだけど、タバコは止めた。玉ちゃんは自殺して、Gさんはガンになったのだけれど。
とても普通なのだけれど、なんだかいまだにそういった想い出の中で生きているのかもしれないと思う。「憶えていますか」というよりも、そのあたりの時間の中にしかボクはボクらしく生きてないのかもしれない。きっと、毎日毎日、身体の中で記憶という細胞が増殖しているに違いない、そう思った。
想い出が人を人にさせる。後悔や恥や苦悩を知らない人は、きっと人に成らない。成人の日にそう思った。そうしてあの頃のことをまた想い出している。
吉弥 三三 二人会にて
悩み悔い恥を知ることが大切なのだ。