ポケモンGO交通事故死について考えたこと

きっと無料だからここまで流行したんだろうね。

一宮市でポケモンGOを運転中にしていたポケモンハンターの車にはねられ死亡した小学生は、その無料ゲームの被害者だ。ボクたちはそのゲームのために取り返しのつかない損失を被ったことになる。どれほどそのゲームが有効に利用されようと、亡くなった小学生は戻ってはこない。

ひとりの命より大切なものってのはなんなんだろう?人を殺してまでも他人の利益ってのは優先されるべきなんだろうか?

こうなることは初めからわかっていて、人々はその有用性とか有効性ばかりを強調する。例えば経済効果のこととか・・・。でも、だれもその損失は考えない。いや、それが経済優先主義の病理でありジレンマだと解かっていても目を背けてしまう。

任天堂やマクドナルドの株価が上がったとしても、靴が売れ飲料水が売れたとしても、ポケモンスポットに多くの人が集まったとしても、それがどれほどボクたちの生活を潤してくれるのですか?

逆にこの国の将来を危うくするのではないでしょうか?国家的損失、企業の生産性の低下、事件事故、それに勝るほどの効果があるのでしょうか?
Pokemon GO の経済損失は考えませんか?

経済 > 子供の命

無料のゲームアプリを、これまた無料の道路で展開する。

この「無料アプリ」の利得性とか利便性、とか、「おまけ」のそれ、みたいなものは、例えば同じく使用料無料の公共道路を利用するUberなんてオンデマンドシステムにも共通する危険性を孕んでいて、やはり「タダより怖いものはなし」でどこかで規制しなければならないのではないのだろうか。みんながハンターになる危険性。

ボクたちはすでに経済という絶対神の、国家とか企業という宣教師によって、「消費者」というホーリーネームを与えられ、嬉々として罪を犯している。ひとりの命よりは経済のほうが大切だと洗脳されている。

それを象徴するのが今回の愚かなポケモンGO事故と一宮市への脅迫状なのだ。

サウザンド・サニー号
サウザンド・サニー号でGOのほうが気持ちいいに決まっているのにね。

ポケGO規制要請で脅迫 愛知・一宮市にメール: 日本経済新聞

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