希望

いいえ、ボクたちに必要なのは希望なのです。
そうして、この国が失くしてしまったものも希望なのです。

豊かさとは、どれほど希望がポケットに入っているか、あるいは、入るか、ということなのです。その希望には、根拠なんてものは全く必要ないのです。

ボクたちは、確かに貧しかったのです。駄菓子を買うこともなく、少年ジャンプを買ってもらうことも出来ずに、仮面ライダーを同級生の家に見に行き、近くのおじさんはもらい風呂に来ていて、洋服は盆と正月しか買ってもらえないほど、今考えると、途方もなく貧しかったのです。

それでも、ボクたちには、根拠なき希望がたっぷりとあって、シアワセな日々を送っていました。ボクたちの未来は、それは手の届くほどの位置にあるものでさえ、カガヤイていました。努力が報われるセカイがボクたちの明日を担保していました。それは暗闇の向こうの隙間に光が差し込んでいるような感じで、そこに行けば、そうしてその扉を開けることが出来さえすれば、たっぷりと浴びることのできるものだと、確信していた時代でした。

その希望があったからこそ、長姉は集団就職で紡績工場に行って、その給料で仕送りをして、ボクたちを支えることができたのです。働くとはそういうことだったのです。その先に希望があって、その先に夢があって、その先にシアワセが待ち受けている、ということ。

活躍とか活用とか、生産性なんて耳ざわりの良いコトバの必要のない労働、希望こそがボクたちの原動力だったのだし、この国を発展させた根本原理だったのです。そうしてその希望という原理の下に平等とか公平が与えられていたのです。

今は、いったいこの国はどうしたことなんでしょうか。夢も希望もない国家になってしまいました。ボクたちのポケットには、というか、ボクたちには希望を入れるポケットさえ失くしてしまった。夢や将来なんてことを考えることが出来なくなってしまっている。だって18歳の春にボクたちは選別され、その春や4年後の春に、その時の経済状況で、ある人は氷河期の中に閉じ込められ、ある人はパワハラやセクハラに集団不適応になり、ある人は非正規という烙印をおされ隔離される、そうしてすべり台社会の中で這い上がれなくなる。這い上がれなくなるどころか、自死、過労死する若者も多いのです。

いくら努力しても報われることがない。それがこの国の現状ではないのですか?

希望なき国家。それで発展が望めるのですか?発展どころか国家と言えるのですか?

「東京や日本に、もっと希望を見いだしてほしい。東京や日本にはいろんなものがあるが、ひとつ足りないのは希望ではないか」

希望の塾の入塾式での小池百合子東京都知事の挨拶文です。

この国にはいろんなものがあり、それはお金で買えたりします。豊かだと言われています。飢えや餓えで死ぬ人もほとんどいません。でも、発展途上国のほうがはるかに豊かな生活を送っていると思います。そうしてボクの少年時代のほうが今よりもかなり豊かだったように思います。

それは「希望」があったからです。そう「ひとつ足りないのは希望」なのです。そうして国家とは希望の在処なのです。

獺祭
獺祭大人買い・・・豊かさや五臓六腑にしみる酒(笠山:)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA