11月に三三師匠

「愛故知新」国民文化祭あいち2016が開催されている。

尾張や三河という地域は歴史的に深遠な場所であり、偉人賢人、歴史上の人物を多く輩出している。道徳観や正義なんてものを軽視する風土なんてものがあったとしても、今もなお偉人賢人、天才の出身地であり、経済や文化、スポーツに与えている影響は大きい。

その三河でも豊橋よりは豊川のほうが、芸能文化にたいする造詣が深いように感じるのは、ボクだけなのだろうか。豊橋は、例えば万人受けするような、流行のものを取り入れ、豊川は玄人好みするものを好む。

落語だけに限った話をすれば、豊橋は「笑点」なんてお笑い番組の出演者や、「ためしてガッテン」なんて情報番組に出演している人を、金の力で呼び寄せる。いっぽう豊川は、なんらかの縁で来てもらっている。そんな感じがする。(きっと感じだけなんだろうけれど・・・)

そんなことを5年前に書いたことを想い出した。

豊川市は文化的イベントに積極的なようだ。先月は市川仁左衛門さんが来たり、来月には権太楼師匠の独演会があったりで…。
柳亭市馬師匠がやって来た

会長に就任する前の市馬師匠だったり、若手の三三師匠や一之輔師匠・・・きっと豊川市役所には芸能のプロがいるに違いないと、これまた感じていたりする。

または、豊橋は愛大の落研やセミプロみたいな人たちがいて、興行が難しいのかもしれないと思ったり・・・。

いや、やっぱりボクの嗜好の問題だろうね・・・。

さてさて、そのボクの好きな三三師匠が4年ぶりに豊川にやってくる。もう4年かあ、ちょうど豊川たてこもり事件の直後だった。

「昨日、一昨日と、岐阜県の多治見という町に伺っておりまして、夕んべのうちに、豊川、え~と、豊橋ですか、豊川は避けました、いつ人質になるか分からないので…。」と、例の豊川たてこもり事件を枕にふって、権助提灯、雛鍔、そして文七元結、三席をやった。
柳家三三師匠独演会に行ってきた

落語が文化という、ちょっと高尚なものかどうかはわからないけれど(なんて言うと怒られそうなんだけれど)、まあ、ボクのようなヒキコモリには感情を起伏させる装置だったりして、ラジオとかテレビよりは接する時間が長い生活必需品になっている。

文化の本質は、そういった生活との密接な関係性であって、生活からずっと遠ざかった位置にあっては、もうそれは遺跡なんてものと同じで、そうしてそうなってしまってからは愛故知新とか温故知新なんて他人事としてしか捉えられなくなってしまって、廃れる。廃れないにしても、守らなければならないもの、になってしまって、柵を設け仕切りを施し手の届かない場所の存在になってしまうのだろう。それはなにかまた違っている。

歌舞伎とか文楽なんてもののように、ボクたちの生活とは無縁の場所に存在することは、決して良いことではないと思うと、まあ、あんまり考えずにさ、BGM程度に落語を聞くとちょびっと脳が活性化されるんだよ、なんてことで良いんだろと思う。

で、三三師匠、あ、吉弥師匠と二人会かあ・・・ハートフルホールで11月23日勤労感謝の日に開催なのだけれど、たぶんもうチケット売り切れだろうね。ボクは縁あってどうにか取れたけれど・・・・・・。

桂吉弥、柳家三三 二人会

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