神明社(神ノ郷)- 謎の銘文「美阿軻斯」
神明社(神ノ郷)は、蒲郡市神ノ郷町御開塔(おかいとう)に、周囲を畑に囲まれた静かな場所に鎮座しています。祭神は天照大神と大国主命で、地元住民の氏神様として篤い信仰を集めている神社です。
神ノ郷の神明社の創建と由緒
創建は正保2年(1645年)で、加藤与太夫による勧請と伝えられています。この加藤与太夫の詳細は資料から確認できませんが、同じ頃、寛永19年(1642年)に亡くなった代官・加藤彦十郎の一族ではないかと考えられます。彦十郎は、徳川家康の側室であった「西郡の局(おまん)」の兄にあたります。
その後、領主の崇敬も篤く、享保3年(1718年)には、上ノ郷領主・松平親明より社領畑高5斗の寄進を受けました。
再興の歴史
明治時代に入ると、明治6年(1873年)の神社制度改革により廃却社(はいきゃくしゃ)となり、赤日子神社の境内社に合祀されました。しかし、町内に疫病や火災が立て続けに発生したと言われます。そして、これは神様の祟りではないかと危惧する声が上がったことでしょう。その結果、明治11年(1878年)12月20日に、元の境内である現在の場所へ再び遷座されました。(『愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館』)
謎の銘文「美阿軻斯」
神明社(神ノ郷)の神殿前には、「美阿軻斯」と刻まれた石灯籠が左右に一基ずつ立っています。裏側には「大正15年5月1日」の日付が確認できます。この「美阿軻斯」が具体的にどのような意味を持つのかは判然としていません。また、赤日子神社鳥居前の灯籠にも、同じ銘文が刻まれています。
時代背景と考察
古来、長い歴史の中で、神や仏もまた人々と共に災いに巻き込まれてきました。この石灯籠が建てられた大正15年は、同時に昭和元年という激動の時代の幕開けと重なります。混迷を極めた時代において、灯籠に込められた「美」の文字は、人々の心の拠り所として灯し続けられたのではないでしょうか。その「美」という文字が美しく映る神明社(神ノ郷)です。
- 御祭神 天照大神 大国主命
- 例祭日 7月第2日曜日





