タクシーの死(1)
タクシーと公共性について
公共交通としての使命を捨てました。タクシーは死んだのです。
非常事態宣言が解除された週末夜の繁華街には、年末の繁忙期とは比べものにはならないにしても、その1割から2割程度のお客様が戻って来た。まだ黒服のお兄さんや、外国語なまりのお姉さんのほうが多いとしても、それはそれで、これまでとは違った情緒とか風情なんてものが漂っていて、いつもよりはゆっくりと歩いてみたくもなる。
タクシーはと言えば、そんな市場の動きには鈍感で、その鈍さが不幸の原因だということに気が付かないで、大物ぶりを誇示している。その大物ってのは「公共」という印籠を持って、「おらおら」なんてチンピラよろしく、縄張り争いと弱い者いじめに明け暮れている、そんな業界の経営者だったり幹部だったり、あるいは安全な位置にいる人たち。
「タクシーは何時までやってますか?」
街に人が戻って来たとしても、そうしてタクシーを必要とする人がいたとしても、知らん顔をしているタクシー業界の、そんなチンピラたちは、昨日までは「Uber反対」の理由として公共を訴えていた人たち。そうして国家に対しては「公共」の被害者として、補助を乞う人たち。岩盤規制というシェルターを用意させる。
タクシーが捨てたもの
タクシーは公共をすてたのだ。理念をすてたのだ。正義を捨てたのだ。守銭奴になったのだ。
そうして、我々からだけではなく、いつから街の人からも搾取するようになったのだ。交通弱者のために特権を与えられ、移動権確保のために優遇されてきたのではないのか、税金が使われてきたのではないのか。
いつから泥棒になったのだ。
せめて、公共という名のもと事業を行っているのならば、その公共に対して丁寧な説明が必要ではないのか。
タクシーは公共性を捨てました。タクシーは死にました。covid-19で死にました。2020年5月にあっけなく死にました。
ハイタク協会は、各県のタクシー協会は今すぐ、これぐらいのアナウンスをすること。その指示を出すこと。特に地方の夜間・深夜に供給を制限している地域のタクシー会社は。
2020年4月24日金曜日22時4分 豊橋駅前アークリッシュホテル前