学校再開で考えたこと
緊急事態宣言が解除されたとたん学校再開も決定された。休業要請が段階解除の状況下でだ。
経済を回すためにセットで学校を再開させた、なんてこともあってはならない。子どもたちの安全が確保されることが、優先されるべきで、そこに国も予算をつぎ込むことだ。この国の将来を担っているのは、子どもたちだ。私も、子どもたちのためなら、自ら進んで爺爺捨て山へ行く。若者は社会の財産なのだ。
学校のほうが安全
昨日もそのことを語った。ただ、考えたのだけれど、学校に行ったほうが良い子どもたちが、一定数いるということ、それも問題ではないのか、そう考えている。
どういうことかというと、
- 誰もいない家で留守番をするのは危険
- 学力の低下
- 休み癖がつく
- 親との関係の悪化(虐待)
他にもあるとして、親の資質が問われる、というか、親の責任や負担が多くなる。パチンコ屋に連れて行く、一日中タバコの煙の中で過ごす(家や車)、そういった感染リスク健康リスクの高い中での生活になる。
勉強を教えられる、その能力がある親ばかりではない。ネット環境のある家庭ばかりではない。収入が減ったことによる栄養バランスの悪い食事や親のいら立ちが悪影響を及ぼすということ、など、休校が及ぼす弊害も多いはずだ。そしてその周辺は顕在化されにくく、最終的に子ども身体と心の生育を阻害する。
分散登校と家庭学習の環境整備
休校(それも長期化した)という、これまでとは違う生活が、人間形成に影響を及ぼすこともある、ということだ。学校に行って集団で普通(と言われるの生活を送ることがいつも正しいというわけではなく、自粛したような学校や集団と隔離された教育環境で子育てすることが正しいと考えている人も一定数いて、幸福観や満足感を得ている人もいる。それは善悪はあるとしても、親が決めたことであって、よくある他罰的にはならない隔離された幸福観や満足観だとしてもだ。
そうしたことを前提として考えたとしても、人間の評価が、教育の成否や正誤の結果だと分別するのは困難であったとしても、集団、組織で生活をしなければならない現世界においては、どう考えても、集団や組織の中で生活し考えることを子どもの時から学習し習慣化することが必要なのだ。全てではないにしてもだ。そうして核家族化されたこの国にあっては特にだ。
そうなると、今すぐにでも開校しなければならないのか、そう悩んでしまっている。(まあ、ボクが悩んでもしかたないのだが)
悩んだ結果、やはり非常事態宣言解除→安全性の確認→開校準備→分散登校→通常登校
とすべきで、それには6月1日(月)から分散登校を始める、とするほうがベストではないにしろ、ベターだと思う。どうだろう?


新型コロナウイルス感染症による小中学校等の臨時休業等に係る措置状況について/豊橋市
さといもさん、どうも。
そうですね、長引くといろいろと問題が出てきそうです。
家庭、家族の差、がより一層顕在化して、学力を含む教育の差になるのかなあ、なんてぼんやりと・・・。
こんにちは。
休校があまり長期間になるとどこかで穴埋めしないといけないのでできるだけ再開を早くしたいといった考え方はあるのかと思います。
今後は夏と冬の休みはかなり短くする、土曜日にも授業行う、各種行事は中止といった事が考えられます。
他に学校の役割としては給食があります。
中には満足に食事与えないような家庭もありますしそういう意味で助かっている面は否定できないでしょう。
私立だと通常通り授業行っている学校は一部あるようですがこれが長い目でみて正しいのかは何ともいえません。
休業要請と同様強制力はないので経営方針として強行しますと言われたらそれまでです。