鞍掛山秋の月見・守り三神・鞍掛の松

鞍掛山秋の月見は「藤原義氏公が昌泰二年に先祖ゆずりの鞍掛山に登りて十五夜の観月をされたのが始まり」だそうです。藤原義氏とは「太祖天児屋根尊(アメノコヤネノミコト)廿一世苗裔藤原千方公より九代目」ということです。

この話には形原神社創建が関わってきます。形原神社の社伝に「欽明天皇(630~641)の時、東夷鎮定の大将藤原千方公がこの地に駐屯し、将校以下士卒をして荒地を開拓し山麓に埴安神を祀る」とあります。

この社伝に登場する藤原千方より9代目が藤原義氏です。そして、昌泰2年(899)に十五夜の月見をしたのが始まり、となります。ちなみに、形原神社の祭神は天児屋根尊で、中臣氏は春日神社社家です。

鞍掛山秋の月見

さて、鞍掛秋の月見の話は続きます。秋葉山鞍掛神社境内にある「鞍掛山秋の月み 旧跡碑」には次のように刻まれています。

文明年間に至り松平信光公が春日明神参拝??
三十二代形原宮内藤原千義殿の娘春女と鞍掛の月見で
結ばれ一子千代丸を出生した

そして、その千代丸こそ、初代形原城主松平与副です。それにしても、さすが48人の子をなした信光公です。

その後歴代の城主が月見の宴を開催するようになったそうです。そしてその後、次のように碑文は語ります。

寛延年間に至り代官小林武右衛門殿が月見の宴
を継承主催することになり明和元年秋より名月と併せ
大秋葉神社の例祭とし以後鞍掛山秋の月みと呼称される

明和元年(1764)は、秋葉神社がここ鞍掛山に移し祀られた年です。つまり、その年から鞍掛秋の月見は神社の例祭として行われるようになりました。

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守り三神

次は、守り三神です。次の三神が鞍掛山秋葉神社境内に祀られています。

  • 水祖之神 藤原千方公
  • 平和之神 中臣春国女
  • 長寿之神 藤原義氏公

その碑文には「守り三神は天児屋根尊苗裔(びょうえい)にして当地形原町海蔵 牧原又兵衛家の先祖なり」とあります。牧原又兵衛家というのは、牧原病院だと思います。そして、平和之神・中臣春国女とは、松平与副の生母です。

これが、守り三神です。

鞍掛の松

最後に、鞍掛の松です。鞍掛の松は、昭和47年に蒲郡市の天然記念物に指定されました。しかし、今はありません。おそらく、枯れたのでしょう。以下、境内に残る蒲郡市教育委員会の解説板を書き起こします。

鞍掛の松は市内形原町鞍掛山地内の秋葉神社社殿の傍らにあり、樹令二百余年と考えられる。
樹高約十五メートル、目通りの周囲二.七メートル、根廻り約四.四メートルにおよぶ巨木である。根ばりが特異な形にひろがっているのが特徴で樹形も風格があり美しい。

その跡には「鞍掛乃松の碑」が建てられています。そして、鞍掛の親子松として二代木が育っています。

つまり、引き継がれることの尊さを静かに語りかけている。そんな境内です。以上、鞍掛山三名所でした…


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