舟止め地蔵・岩瀬地蔵 – 大塚町
2025年11月2日
舟止め地蔵は、大塚町にある光明寺の境内に祀られています。
蒲郡の民話では、その不思議な伝承から「岩瀬地蔵」や「いたずら地蔵」といった異名でも呼ばれてきました。その名の通り、沖を通る舟を動かなくさせてしまういたずらをしたと伝えられています。そして、このいたずらを光明寺の住職が封じたという逸話が、今に語り継がれています。
光明寺に残る伝承(解説板より引用)
光明寺の解説板には、次のような不思議な話が記されています。
昔、大塚の沖を通る舟が光明寺の真南あたりにさしかかると、動かなくなってしまうという現象が起きた。これは光明寺の地蔵のいたずらとされ、時の住職が地蔵を東向きに変え、その神通力(通力)を封じたところ、舟止めはぴたりとやんだ。地蔵は反省し、お詫びとして「癇の虫封じ」の妙薬を住職に伝授したと言い伝えられている。
歴史的背景:岩瀬氏と地蔵のゆかり
この「いたずら地蔵」の物語は、がまごおり電子図書館の『いたずら地蔵 -続・蒲郡のむかしのはなし-』で、岩瀬地蔵として読むことができます。
- 岩瀬氏との関係: 同書の注釈によると、「光明寺は、戦国時代に大塚に住んでいた岩瀬氏が建てたものである。ここに出てくる岩瀬地蔵は、もとは大塚小学校の東の丘に祀られていた」とあります。
- 歴史の痕跡: 光明寺を建立したとされる岩瀬氏の居城中島城(大塚町中島)は、1562年の徳川家康による落城しました。そして吉田藩領となります。
こうした歴史を考えると、舟止め地蔵(岩瀬地蔵)は、滅びた岩瀬氏の名残をとどめる、歴史の生き証人とも言える存在です。
舟止め地蔵尊の画像
地図・行き方
蒲郡の寺院蒲郡市内のすべてのお寺を紹介します。Googleローカルガイド(レベル10)の案内する、蒲郡の寺院パーフェクトガイドです。 東三河の旅 > 蒲郡の旅 > 蒲郡の寺院 蒲郡の寺院 大塚…
kixxto.com
続きを読む


