生産性と労働時間
生産性が労働者人口や人手不足とリンクされている限り、労働時間の短縮は難しいのではないのでしょうか?
今後、労働時間短縮の前に残業を0にし、現在のGDPを維持するためには1.5倍も生産性を上げる必要があると…(図1)。人口が16.3%減少したとしての試算で、これが増えることも考えられる…。
図1 生産性1.5倍必要 [ジンズ試算]1
となると、少子化対策も急がれる。
その少子化対策は雇用問題と言えるので、雇用環境を改善し実質賃金を上げるために生産性、その向上も必要……。となると、それは難しいことではないのか?
いや、大企業が内部留保や株主優先の利益配分をなくせば、賃金は上がり結婚する人も増え、そして子どもも増える……。としても、それは段階的なもので即効性はない。というペンローズの階段のようなジレンマ…。
つまり、労働者人口とリンクすると解決しない。それどころか、労働時間は短縮されたが国家は貧しくなった、なんてことにも…?そして、労働者性のない労働が増える可能性も…
なんて、できないことを考えてもしかたない。とりあえず、法定労働時間週35時間から。それに、どれだけ生産性が上がればわしたちの生活は豊かになれるのか?上がっても上がっても労働時間も賃金も同じ…。このことこそ問題なのだ。
生産性、労働力、働くってなんなのか分からなくなる。結婚するために、生産性を上げ、子供を生産する、生産マシーンなのかも…。と、生産性のないわしが言うのもなんだけれどなあ…
9月19日
この日は終日ぼんやり…お昼前にGさんが寿司を持ってきてくれる。ありがたい。暑い日なので外に出るのも億劫になる。
『説きふせられて』と『シュリ』を鑑賞。『高慢と偏見』に続きジェイン・オースティ原作。人間の心のややこしさは、時にイライラ…。それは奥ゆかしさでもあるのだけれど、直情的な人が増えたなあ、と言う感想…。『シュリ』は、南北の悲劇、今も戦争は終わってない。それを考えると、戦争は人々をいつまでも苦しめる。
9月20日
『あんのこと』これはもう悲し過ぎる…。子供の権利を奪う親、そして行くところのない人たち。コロナ禍でのブルーインパレスをあんが見るシーンがあるのだけれど、コロナで仕事がなくなったことは、コロナが引き起こした悲劇と言えないこともない。『夜明けまでバス停で』もそうだったけど、コロナが引き起こした二次災害。どうにかならなかったものかと、考える。
居場所のない人たち。どうにかならないものかと、また考える。