移動難民
移動難民とは地域や時間帯、災害やイベント等で起きている「移動の足不足」による移動できない人たちを言います。
タクシー不足の報道やSNSでも使われることが増えました。この問題は、突如出現したのではありません。しかし、タクシー不足解消策としてライドシェアの必要性を説く文脈で、多く使われるようになりました。
最近はこの「難民という表現はいかがなものか」という議論も起きています。そのことについて少し考えてみます。
移動難民
難民という表現は、ライドシェア推進派の人たちが問題を誇大化する目的で使用している、ボク自身は考えています。なぜならば、圧倒的悲劇性をイメージできるからです。例えば「移動の足不足」よりも強いはずです。さらに「移動困窮者」よりも強い…
そうした意図的な使用方法を感じて、「いかがなものか」というのがボクの意見です。
一方で、イベントや天候が理由での足不足で「難民」を使うな、という声もあります。確かに、世界ではいまだに貧困に喘いでいる難民の人たちもいます。戦争で祖国を追われた難民の人たちもいます。そういった人たちと同列にするのは、とも思います。
この国の不幸
しかし、この国で起きている不幸は国家が政治が作り出したものです。いわば、総じて「政治難民」ではないのでしょうか?
移動だけではありません。住宅難民、就職難民、社会保障難民、医療難民、移動難民…。そして今起きている米騒動は「食糧難民」です。
食料は農政、移動は交通政策や都市政策、福祉政策の失敗にあるのではないでしょうか?つまり、大袈裟な言葉を使うな、というのは、失敗を隠すことにもあるのではないでしょうか?実は、ここにも恣意的意図が感じられるのです。
難民はタクシー事業者が起こしているわけではないのです。政策の失敗なんです。自民党が起こした人災ではないのでしょうか?
8月26日
午前中に農協に買い物。帰りにバローに寄って鶏肉と冷凍食材。台風が来そうなので少しだけ余分に…
午後からはなにもせず…夕方から雨。台風の影響だろうか?夕食後にアマプラ。ストレッチ、体操、シャワー…就寝。朝は8時過ぎに起床。雨。Twitter見ながら、今…もうお昼。なにする?
『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は、チェコスロバキアで実際に起きたスプリー・キラー事件が題材。23歳で絞首刑にされた実在の人物オルガ・ヘプナロヴァーを描いたドラマです。ミハリナ・オルシャンスカが演じましたが、音楽なしハイトーンのモノクロ…これはすごい…
私、オルガ・ヘプナロヴァーを観る | Prime Video