平成最後の日、何をしていました?
平成最後の日だった。
昭和最後の日、昭和64年1月7日の朝、ボクは(正確にはボクたちは)慌ただしく動き回っていた。そして「大変なことになった」と考えていた。
それでもあの頃のボクの人生にその「大変なこと」の厄とか忌まわしいことが、なんというか、栴檀草のあの窮屈さでまとわりつく、なんてことも、一切思ってもいなかったし、感じてもいなかった。それほど、楽観的な人生を、それはそれほど根拠がなかったにしろ、送っていたし、人生を悲観するほどの余裕も、なかった。
ボクは門松を片付けながら、隣にいたMちゃんに「大変なことになったね」、そう3回か4回、いやもっと言ったように憶えている。
あの日から30年が過ぎた。昭和64年、と書くと、なんとなくボンヤリとするんだが、1989年、と書くと、その時間の経過が数学的に陰影をつけて解かる。ハッキリとあの日のこと、そしてその後のボクの「大変な人生」を思い出すこともデキる。


ボクの30年間、あの日から30年と数か月の日々。「大変なこと」はやっぱり外からではなくて、自分の内から起きるものだ。もう少しボクが努力とか我慢とか苦労なんてことを習慣にしていれば、世の中の人の言う「普通の人生」ぐらいは送ることが出来たのかなあ、なんて平成最後の日に思っている。
いろいろなものを捨てて、ここにいる。
でもそれは自分の生き方、いやハッキリと言うと意地みたいなものから、捨てなければならなかったもの、なのだろうと、言い訳じみた回答を見つけたとしても、それは健康に悪いことを解かりながら喫煙するような行為、なのだろうと思う。自暴自棄、そんな30年だった。
自分の人生を振り返ったところで、それは成功者のすることだと、思ったりもする。振り返ったところで、顔をそむけたくなるような出来事や、自己嫌悪の記憶・・・。いやいや、ただ、平成最後の日。ということで、ブログを更新しなければ、なんてことで、こんな陳腐なことを書いているのだ。ただそれだけのことだったのだけれど、過去は、30年という年月は、そんなにおもしろくも楽しくもない。
もう良いことがあろうとなかろうと、残りの人生を、余生を、令和の時代を、あの頃のように、誰を恨むこともなく、悲観することもなく、一杯のご飯をいただき、一杯のお酒を飲んで、もうじたばたしないで、生きたい、そう思っているだけなんだが・・・。
自分のことだけを考えて生きていきたい。世を捨てて生きてみたい。それが「大変な人生」を送ることになった原因だったとしてもだ・・・。
降るとまで人には見せて花曇 井月
平成最後の日だったので、もう少し贅沢をすればよかったと、ちと後悔。

