夜須の芋天、店員さんたちとの出会い(13日目の2)

夜須の芋天は美味しかった。遍路中、どうも食堂、コンビニに入るのに気が引けた。汚れている、ということが理由だった。

「ありがとうございます。お気を付けて」とレジの後に言ってくれるコンビニの店員さんは、2割いただろうか。遍路姿のボクに「またお越し下さいませ」と言っても、しかたないだろうに、といつも思った。四国にしかないのかな、スリーエフというコンビニ、宿毛ではお接待もしてくれた。そのスリーエフやサークルKでは、店の前にベンチがあって「お遍路さんへ、どうぞ休憩して下さい」なんて書かれていたりする。

道の駅やすのモダン焼 揚げたての芋天も美味しい
(道の駅やすのモダン焼500円)
道の駅やす/ヤ・シィパーク

夜須の芋天

夜須の道の駅に着いたのは11時50分だった。食事時だったので、取りあえず売店を見て回った。芋天、サツマイモの産地なのか、ファーストフードのように、揚げたてを売っていた。100円。ひとつ買った。そして食べた。お好み焼き屋さんがあって、モダン焼を注文した。15分~20分ほどかかるけれど、良いかと聞かれたので、「待ちます」と答えた。

店の外のテーブルで待っていた。少し離れた所に座っていたふたり連れの女性の方と目が何度か合った。しばらくするとその女性が近づいてきて「これをお食べ下さい」と袋に包んだ「夜須の芋天」を下さった。「ここのは美味しいんですよ。歩いて回られているんですか」と聞いてきた。「はい、歩いてます」と答えた。

「がんばって下さいね」と、そのまままた席に戻って行った。ボクは立ち上がって、お礼を言った。そして手を合わせた。「ありがとうございます」と言った。

モダン焼き

すぐに注文したモダン焼がきた。ボリュームのあるものだった。それがなにか贅沢なもののように感じた。きっと、向こうに座っている女性は、ボクが何も食べないで居るのだろうと芋天を持ってきたのかもしれないなあ、なんて考えると、少しそのモダン焼を食べていることに罪悪感のようなものを感じた。

500円だったのだけれど、それはなにか遍路が食べるものではない、ようにも感じた。少し後悔した。「やっぱりオニギリを静かに食べた方が良いかなあ」なんて考えた。白衣に金剛杖、菅笠姿で、焼き肉とかステーキとかは、どうも憚られるように思っていた。

そのモダン焼を急いで食べて、もう一度お礼を言って道の駅やすを出発した。芋天とモダン焼で満腹だった。ザックの中にも芋天が入っていた。

今にも雨が降りそうな空だっった。遍路小屋香我美には若い遍路が眠っていた。大きく重そうなザックが、もうそこに泊まるんだ、というように彼と一緒にベンチに横たわっていた。それはもう彼の意思表示のようにも思えた。

そして雨

雨が降り始めていた。それでもまだレインウェアを着るほどでもなかったので、そのまま歩き続けた。

左足中指付け根に豆。どこかを庇えば、どこかが痛む。

痛みは常に10であって、9にも8にもならなかったし、0になどにはなりそうになかった。人の苦しみも、きっとそんなもので、0にはならないし、常に10 あって、どこかが楽だとか、幸せだと感じたとしても、どこかで苦しみや痛みが加算される、そういうものなのかもしれないと。そう思った。

香南市赤岡あたり、祭りの準備
(香南市赤岡あたり、祭りの準備なのだろうか……)

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