計画運休、台風一過
台風14号では、新幹線、在来線とも計画運休を発表した。休日だったこともあり、混乱少なく台風は過ぎ去って行った。
台風15号では、計画運休はなく、直前になって運休が決まったので、目的地まで行けずに立ち往生する人がでた。駅のタクシー乗場は帰宅困難者であふれた。
そのあふれた人たちの行き先は、浜松や静岡、神奈川、東京、遠距離の利用者が多く、ボクたちは「浜松祭り」と呼んで喜んだ。
祭りの正体
本当は、その「祭り」は帰宅困難者の不幸で成り立っていて、喜んでもいられないことだった。
徐々に、その事実が「祭り」を複雑なものに変えてゆく。
喜びながら、厳しい表情を取り繕う。
そのうちに、行く先々の被害状況がラジオから流れる。
左右上下から打ちつける雨音。
ワイパーのリズミカルな騒音。
喜びが消えてゆく。
悲しみが雨音に反響する。
溺れそうになる。
その音の隙間に、「お家、大丈夫ですかね」
と、ボクはその語尾に羞恥心が紛れ込まないように、早口で言った。
「今のところは大丈夫みたいですけれど、この雨なので心配なんですよ」
と、その人は丁寧に答えてくれた。それが、ボクをさらに恥ずかしくした。
だけれど、息苦しさからは解放された。
「すみません、ついさっきまで喜んでいて」とは言わなかった。
道先案内人
でもね、そういうものなんだ。経済とは人の幸不幸で成り立っている。
タクシーも、自力で移動できない人たち、例えば、病人老人酔っ払い、そんな人たちで成り立っている。
幸不幸、その際で商売をしている。
タクシー運転手は、行灯を灯して、幸せへの、あるいは不幸せへの道先案内人をしている。
どうぞお座りになって下さい。
どこへでもお供をします。
純白のシートカバーはその決意の印なのだ、そう思う。
台風が過ぎ去り秋が深まってゆく。哀しみや喜びに寄り添うこと、人に寄り添うことがボクたちに求められているのだろうと思う。